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■充志会(同窓会)

充志会について


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 本会は、1939年(昭和14年)8月に化学機械科初代科長枷場重男先生により「充志会」と命名され、発足しました。化学機械科は、全国に唯一の学科であり、第一回生達は特殊生産技術の先達として雄飛する希望と理想に燃え、非常に団結しており、彼らにより「覇気」の精神が生まれました。そして、繰り上げ卒業の際に、彼らは後輩諸子に次の一文を残しました。

 「卒業を間近に控えて後輩諸子に一言呈す 吾等早くも小立野原頭に三度の秋を迎え涼風颯々として鳴る時 国家の重大使命を帯びて繰上卒業となる 想えば吾等が辿り来りし路は建設の苦闘なり 迫害への闘争なり されど屈せず 上に新進気鋭の師あり 一口に覇気満々たる創立生あり 黙々たる敢闘遂に今日の盛大を見る 見よ甍美し校舎既に成り力溢るゝ後輩既に百有余名を算ふ 併して吾が前途又栄光に満つ今日時局重大 国家存亡の一つに若人の双肩にあるを想はしむるの時 校風堕落 飾無実の学園にも 革新の機運自ら生ずると雖も 今にみる拾幾年の見苦しき屍 習生は既に救い難き悪弊とはなれり 而れども巍然として 獨り濁らざるは吾が科のみ 生新にして齢ひ浅けれども 傳統は峰高く輝く覇気の二字 青年らしき青年たらんとする気概なり 或る師あり化学機械こそ校風刷新 全科の模範たりと断言せり されば諸子が行ひ 他科注目の的なりと決すは過言ならず 此れ一つに團結の精神に外ならず 不言実行の賜なり 吾日を選びて後輩諸子にすべての実権を送る 諸子心して受けよ 吾等去るも尚社會に在り 諸子等同志の活躍を切に待つ 斯く言し来れば万感胸に満ち良く観述べざるは残念也 願わくは吾等が胸中を察して 開拓者の面目汚損せざらんことを望む
 昭和拾六年拾壹月参日
      第一回卒業生一同」

 その後、戦争の激化による学徒動員により、充志会活動も下火になりました。戦後まもなく在学生の間で文芸誌(充填塔)の発行が行われたのみで、充志会再建の動きは見られませんでした。
 充志会の再建に力を注がれたのは、1945年(昭和20年)卒業の中木和彦先生でした。中木先生は卒業後も母校に残り充志会復活に尽力されました。そして、新制大学の第3回卒業生を世に送り出したとき、中木先生の努力によって初の充志会総会(昭和30年5月)が開催されました。
 その後、学生の間での充志会の認識の高まりとともに、先輩とのつながりまで拡大したいという願いの強まりにより1964年(昭和39年)1月に金沢在住の卒業生や当時の教員を交えて充志会の本格的な再発足に向けての懇談会が開催されました。
 また、同年3月には、「充志会誌」復刊第一号が発行されました。この第一号のスタイルが現在まで継承されており、在学生を対象とした内容のものとなっています。
 さらに、1970年(昭和45年)10月には、充志会復活の第一回総会が開催されました。この総会で会則が承認され、充志会は、金沢大学理工研究域自然システム学類物質循環工学コースの前身である金沢高等工業学校化学機械科からの卒業生と在学生をつなぐ同窓会(同学会)組織として現在に至っています。